マルテの手記/リルケ

こみちの本棚 23冊目

スマートフォンやパソコンの普及率が上がり、それによってインターネット上のコミュニティに手軽に自分の思いを書き連ねることができるようになりました。
私が高校生の頃は、文字数制限のあるポケベルにメッセージを送り合うことが流行っていました。公衆電話に女子高生が列をつくっている光景とか、今どきの10代の子たちからすると、信じられないことかもしれません。
ポケベルにしても、そのあとにすぐに流行りだしたPHSや携帯のショートメールにしても、如何に短い言葉で相手に的確に物事を伝えるか、頭を使ったものです。

現在のSNSでいうとTwitterは文字数制限があります。特定の個人へのメッセージを送るか、個人的なつぶやきを世界に発信するかの違いはありますが、制限があるゆえに面白い、ということもあると思います。
考えてみれば、日本には俳句や短歌という文字数制限の極みのような文芸があるので、ひょっとすると日本人の血には言葉を限界まで洗練させる力が、DNAに染み付いているのかもしれません。

話が文字数制限のことに脱線してしまいましたが、
TwitterというSNSがまだ話題になり始めたばかりの頃、他と違っていて面白いなと思ったのが、みんな個人的な「今」をつぶやいているところです。
きちんと起承転結を気にして書くブログの文章とは違い、みんなそれぞれが自分の視点で、超個人的な一言を放っている。
前後の脈絡がまったくないのに、ある人の1日のつぶやきを眺めていると、なんとなくその人となりがぼんやり見えてくるような気がしてきます。

今回本棚から引き出してきた「マルテの手記」。ただの小説だと思って読むと、ストーリーの筋が見えず、ただただ難解な作品に思えてしまいます。
しかし、ちょっとTwitterのタイムラインのことを思い出すと、意外とこの作品の本質に近づけるように思います。
マルテ自身の瞳がとらえた断片が、マルテの独自のタイムラインに流れている。マルテにとって世界の中心は、マルテ自身の瞳であって、記憶を呼び起こすスイッチによって自由自在に過去と現在が入れ替わる。もちろん、文字数制限の中で書かれた短文の連続とはちがいがありますが、めくられるページがタイムラインと過程すると、この作品を書くことでリルケが表現したかったことが、なんとなく見えてくるような気がします。

マルテの手記
リルケ
松永美穂訳
光文社

(文:野原こみち)