もてなし人たち Vol.3

Soleil 樋口陽子さん

「もてなす」とは、日本で古くから使われてきた言葉。

食事をご馳走するという言葉でもありますが、お客様を大切に待遇するという意味もあります。
このコンテンツでは、上品倶楽部のライターさんやこれまでに取材させていただいた方々など、様々な形で繋がりがある人たちをご紹介していきます。

それぞれの分野で活躍をされている方々の仕事や暮らし、これまでの活動など、ご紹介していきます。
それぞれのみなさまが、自分の仕事に尽くし、日々お客様を様々な形で「もてなし」ている立場にあります。
上品倶楽部では、そんな皆さまに敬意を払いつつ、「もてなし人(びと)」とお呼びすることにしました。
様々な業種の様々な個性を持つ方々のお話、ぜひお楽しみください。

第3回 Soleil 樋口陽子さん

編集部

これまでのもてなし人で紹介させていただいた方とおなじく、樋口さんは上品日記でライターとしてご協力していただいています。また、上品倶楽部とコラボレーションして、お料理セットの商品開発にも携わっていただきました。
料理人として長年活動されている樋口さんは、東京から福島に拠点をうつされ、その様子を日頃の上品日記で書いていただいていますが、今回はこれまでの歩みや今後の展望など、編集部から問いかけさせていただきたいと思います。
まずは、樋口さんが料理人になった経緯を聞かせてください。

 

樋口

私は、小学生になったら米を研いで母を待ち、中学生になったら夕食を作れるというのが樋口家の教育方針で、何のためらいもなくそうして育ちました。兄弟全員料理が上手ですが、料理人になったのは私一人です。
建築家の父が、暮らしの手帳を見ながら、また 旅行先で覚えた料理を子供達を手伝いに使って、日曜日に作ってくれていました。そんな環境で育ったのもどこかで料理への道へと繋がっていたのかもしれませんね。
ある日、母と母方の祖母に 女の子は手に職をと言われ、栄養士も考えましたが、大学に落ちて、調理師専門学校に進み、そのまま料理人になりました。

 

 

 

 

編集部

樋口さんは、世界的に有名なフランス・アルザスのフェルベールさんのもとで働かれていたことがあるんですよね。そのときのことを教えてください。

 

樋口

当時は3ヶ月くらいで他の店に移る人が多い中、私は1年間四季を通じて同じところにいたかったのと、キリスト教の行事食にも興味があり、その希望を先輩に言ったら、メゾンフェルベールを紹介してくれました。

4人目の日本人でしたが、初めての女子だったので、シェフのお母さんにとても大事にしてもらいました。仕事中は厳しいクリスティーヌもどこかに出かけるときは車で連れて行ってくれ、その道中フランス語も教えてくれました。家族同様の扱いで、私が住み込んでいた部屋は物置き場になっているそうですが、「陽子の部屋」と呼ばれているそうです。

*「妖精」と呼ばれるクリスティーヌ・フェルベールは、生まれ故郷であるフランス アルザス地方のニーデルモルシュヴィルで活躍中のパティシエール(菓子職人)です。クリスティーヌ・フェルベールが作るジャムは、パリの有名シェフの間でも一目置かれているほどの存在です。〇三越伊勢丹ショッピングサイト抜粋

 

 

東京での活動時代から、季節の果物をつかったジャムづくりは欠かさない

福島に移住をした現在も、ジャム作りはライフワークの一つ

 

 

編集部

日本に帰国してからの東京でのビストロ時代はいかがでしたか?

 

樋口

ホテルやレストランパティシエ、ソムリエを経て、1999年にSoleil(ソレイユ)設立しました。
最初は国立で料理教室とケータリング、下高井戸にキッチンを移転してからはケータリングと期間限定レストラン、その後東中野ではオーガニックフレンチレストランを営んでいました。

 

 

東中野にオープンしていたレストラン

 

 

編集部

大きな転機となった福島での地域おこし協力隊での経験と、2017年2月の移住について教えてください。

 

樋口

移住の理由はたくさんあるのですが、田舎暮らしをしようと決めた後は、迷うことなくやりたいことを全てやり尽くして、閉店しようと決め、2、3年かけて移住の準備をしました。

地域おこし協力隊で、道の駅ふくしま東和に配属され、主に食品関係を手伝っていました。頼まれた事は、極力断らず、きちんとこなす事を心がけていました。
この3年間でお世話になった方々に今も材料をお願いしたり、仕事を頼まれたりとお付き合いがあります。

 

 

 

 

編集部

地域おこし協力隊の任期を終えてから、福島で開業されたんですよね。

樋口

お店という形ではなく、食品加工や料理教室などを生業にしています。(この辺は大きな合併浄化槽がないと飲食店はできないので、食品加工業に切り替えました。)
惣菜、漬物、洋菓子、瓶詰め加工の許可をとり、料理教室として料理を提供しています。

 

 

 

福島に移住し、蔵を改装してつくったキッチン

 

 

編集部

食に携わることに対して、何か特別な思いはありますか。

 

樋口

いくつかこだわって続けている事があります。そのひとつが味噌づくりです。
味噌はなんでそんなに好きなんでしょうね?自分でもよくわからないのですが、せっせと作ったり、教えたりしています。多分、教えた人が「美味しかったら、また作る」と言ってくれるのが嬉しいんだと思います。

今は、リモートと対面の味噌ワークショップ、地域の方々が1年分の味噌を作る町の事業の指導員、オーガニックショップに頼まれて、大豆を茹でる、、、、などが味噌に関わる仕事でしょうか?
また、今3人家族で、朝晩2回は必ず味噌汁という生活になり、胃がないふたり(主人と義母)の為に出汁を引いて、お味噌汁と作るというのは大事な健康管理となっています。

あと、梅干が大ヒットしており、去年はなんとか足りるくらい仕込めたようです。(多分、400kgくらい漬けた…)
真面目な梅干が少ないのか、子供のリピーターが多いです。
合わせて、ふりかけもよく売れています。

養蜂は道の駅に、日本蜜蜂養蜂クラブがあり、その庶務と会計をしていました。
大体の知識を身につけましたが、自然相手なので、ままならず、去年は2群いた群れを両方とも逃してしまいました。
この春、群れを捉える事ができるか、、、、

 

 

地元で大人気となっている梅干し。

養蜂は、移住してからチャレンジしたことのひとつ。失敗しながら試行錯誤中。

 

 

編集部

東京時代から福島に移住したあとに、変わったこと。逆に変わらないことはありますか。

 

樋口

変わったことは、この野菜があるから今日はこのメニューにしようと考える事です。
東京では、メニューを決めて、買い物に行き、食事を作っていました。
今は、畑や蔵(野菜蔵もあります)、道の駅でメニューを考えます。

変わらない事は、食べるであろう人を想像しながら、美味しく食べてもらえるよう考えながら、料理をしていることです。

 

 

 

 

編集部

陽子さんが感じる、料理の仕事をする上で感じる希望や、今後の展望などを教えてください。

 

樋口

見慣れない物を食べない人もいるので、残食があったりするのですが、大体、食べて美味しいと言ってもらえるのが嬉しいです。

子供を産まなかったので、友達の子供にクリスマスや誕生日にローストチキン、ケーキを焼き、少しでも楽しい思い出になればとこちらからお願いして、焼かせてもらっています。
うちの神社は、子供が舞う三匹獅子舞があるので、今年からこの子達にもグラタンなどを焼こうと思っています。
ママ達と「みらいの給食」というグループを立ち上げ、安全な給食を作ってもらえるよう、市、教育機関に働きかけようと活動を始めました。

今の私自身の仕事を分類するとしたら、漬物屋とポタージュ(スープ)屋かなと?
主人が野菜を作っているので、それを生かした仕事を続けていきたいです。

 


樋口陽子(ひぐちようこ) プロフィール

料理人。
ホテル、フランス修行、レストランパティシエ、ソムリエを経て、1999年 Soleil(ソレイユ)設立。
国立、下高井戸、東中野と場所と形態を変えながら、2016年まで営業。
2017年福島県二本松市旧東和地区に単身移住。
3年間、地域おこし協力隊として、道の駅ふくしま東和に勤務。
2019年に職場の上司の紹介で、地元の宮司さんと結婚。
2020年3月 卒隊。コロナ禍の中、敷地内の蔵を食品加工所に改築。
2021年7月より、惣菜、漬物、洋菓子、瓶詰め加工所を運営、同時に料理教室を開催。

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