キネマ放談 vol.4

ゾディアック(2007)

ノンフィクション作品とフィクション作品の違いとは一体なんだろうか。
印象派の絵画のように、写実的であるよりも感覚を設計された作品のほうが、より”リアル”である場合は少なくない。
僕らが事件(事実)に惹かれるとき、そこで起こった出来事よりも、実在した中心人物の内面に触れたいという自らの執着を見せつけられているような気さえする。
フィクション映画における計画されたメッセージでは取りこぼしてしまう伝え方が「一人の人間が実際に行った事」には含まれているのかもしれない。
本作ではそんな「ノンフィクションへの執着」を見透かしたように、実在した殺人事件に執着し翻弄されていく3人の男を追っていく。

端正で冷たい画作りが得意なサスペンス/ホラーの旗手デヴィッド・フィンチャーが作る『ゾディアック(2007)』は、風刺漫画家ロバート・グレイスミスの視点で当時アメリカ全土を熱中させた実在の未解決連続殺人事件を描いた作品です。
このゾディアックを名乗る犯人は各新聞社に暗号文を送付したりTV中継に登場するなど、メディアと消費者を巻き込むような形で凶行を繰り返しました。
ある種華々しいとも言える殺人事件報道の裏方、まだインターネットや科学捜査も普及しきっていない70年代の地道でカタルシスのない捜査が続く中、捜査官のデイブ・トースキー、記者のポール・エイヴリー、同誌の風刺漫画家ロバート・グレイスミスの3人が野次馬心を越えた事件への執着に囚われていく様子は恐ろしく、「謎解き」や「事件解明」などの大義名分を与えられた人間の虚ろな狂気が名優によって演じられています。

捜査官でも遺族でもない主人公にとって、事件は暗号文を解くだけのパズルから、容疑者が犯人である事と信じるための作業に変わっていきます。
事件を終わらせたい主人公に呼応するように、視聴者もまた物語の終わりを求め、決定的な証拠を今か今かと待ち望むようになっていく。
そんな観る人をも当時の野次馬のように巻き込んでしまう皮肉な本作が提示するのは犯人の心理や行動原理ではなく、どこまでも他者を見透かそうとする/かくあれと思う自分自身であることに気がつく作品でした。

関根久無

オランダの造本や国内の書籍装幀が好きなデザイナーです。
『マローボーン家の掟』や『TRUE DETECTIVE Season1』などの、少し画面が暗めの洋画や洋ドラマが好きでよく観ています。マイブームであるメガネ集めは、似合う/似合わないよりも造形の格好良さが気になり始めたので、そろそろ身の危険を感じています。

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