私の本棚からvol.21

葛原妙子歌集  川野里子 編

葛原妙子歌集
川野里子 編
書肆侃侃房

 

 

 五年ほど前、日々の何気ないことをツイッターで呟いていたときに、タイムラインに葛原妙子の短歌が流れてきました。

 あきらかにものをみむとしまづ明らかに目閉ざしたり

 真実を見ようとするならばまずは目を閉ざさなければならないというこの一首に、なぜかわからないけれどとても心惹かれました。
 その頃まで、私は本は大量に読むくせに、句集や歌集の類はほとんど手に取らず、短歌についての知識は高校までの教科書で登場した有名な歌、万葉集、百人一首などの古典を少々知っている程度。ですから、現代短歌のシーンについての見識は乏しい状態でした。
 突然心を奪われた葛原妙子の短歌の他の作品についても知りたくなり、色々と調べてみてるうちに、前衛短歌の系譜をなぞることになり、そこから現代の歌人たちの作品集を購入するまでに至りました。今ではお気に入りの歌人の歌集をたくさん持っていますが、短歌への興味のドアを開くきっかけは、ツイッター上で突如流れてきた葛原妙子の一首にふれたことです。

 150の全角文字の中でひとつのツイートを完結させるという制限があるツイッターは、ブログとは異なり、短い言葉で言いたいことを呟かなければいけません。五七五七七のリズムの中で表現する短歌はツイッターというプラットフォームと相性が良かったのでしょう。誰かの呟き、何気ない日常の言葉たち、そんな短い言葉たちに挟まれて、不要な言葉を削ぎ落として結晶化したような葛原妙子の短歌は、光を乱反射する鉱石のような目の引き方をしたように思います。
 日本では短歌や俳句という言葉を限界まで削ぎ落とした中で、情景を表したり、自分の気持ちを表現したりということを遥か昔から続けていました。それを今も文化として継承し新しい時代に寄り添った表現をし続けている現代の歌人はたくさんいます。
 情報過多な現代では、いい言葉も悪い言葉も溢れています。特にインターネット上では、顔がわからない人から発せられた言葉が暴走し、時に人を深く傷つけてしまうこともあります。不用意に投げかけられた言葉を目の当たりにするたび、歌人のような真摯さや鮮烈さをもって言葉を編むことに、もっと多くの人が責任を持ってのぞむべきではないかと、切に思います。
 
(文・野原こみち)

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