今も昔も日本人に愛され続ける桜。
春を代表する花「桜」。コロナウイルスの流行とともに、大人数で飲食することが憚れるようになった今、以前の様に家族友人知人が誘い合わせてお花見にでかけるということも難しい、自粛の春となった昨今ですが、それでも美しい桜に心を慰められたいという方も多いのではないでしょうか。今回、上品倶楽部では、春号の特集として、華やかな浮世絵の中のお花見の風景と、現代の同じお花見スポットを見比べて、見ることにしました。少しでも春を感じていただければと思います。
桜の風景にある、伝統色。
この日本では、移り変わる四季の美しさを、衣装や家具、また和歌や、能楽歌舞伎などの芸能に顕すために、豊穣な色彩美が誕生しました。日本の伝統色の色数は、千を超えるとも言われ、多様な色彩と風雅で文学的な色名は、日本人独特の繊細で叙情的な感性から生まれた独特の文化ともいえます。
そんな和の伝統色の中から、桜や春の風景に結びつきの強い色を紹介いたします。
和の伝統色 桜色(さくらいろ)
桜の花びらのような淡い紅色。「古今和歌集」の歌にも桜色という名称が出てくるので、日本では古い時代から存在する色。また、紅染の最も淡い色とされる。紅花で濃く染めるには大量の紅花が必要となり、古く庶民にはそういった贅沢は許されなかった。そういった意味でも、少量の紅花で染められる桜色は長く好まれ使われていた色である。
和の伝統色 一斤染(いっこんぞめ)
平安時代からある色名で、紅花をつかって染めた淡い紅色のこと。
紅花を多く使って染め上げる紅色(べにいろ)は、濃く染めようとするほど高額になったため、庶民には着用が禁じられ禁色となっていたが、許し色として禁止されていなかった色の限界が、この一斤染。一疋の絹布を、わずか一斤の紅花をつかって染められ、この色ができることから色名がついたと言われている。
和の伝統色 長春色(ちょうしゅんいろ)
灰色がかった鈍い紅色。
長春とは、本来常春をあらわす意味だが、古の中国から渡来した「長春花(庚申薔薇の漢名)」が色名の元になったと言われる。四季咲きの花も「長春」というが、その由来も同様に長春花。大正時代には、日本の女性たちには落ち着いた色が好まれ、流行した。
和の伝統色 退紅(たいこう)
「桜色」と「一斤染」の中間の淡い紅色を退紅という。(あらぞめとも読む)
下染の黄が残っている褪せた紅染の色。10世紀初めに編纂された『延喜式』の「縫殿寮雑染用度」には、「紅花小八両、酢一合、藁半囲、薪三十斤」により染め出される色として書かれている。平安時代では仕丁、雑役の服色とされた。
御殿山
御殿山花盛 絵師:歌川 広重 出展元:国立国会図書館ウェブサイト
東京都品川区
撮影場所は、現在のミャンマー大使館付近の御殿山通りです。
この界隈は、江戸時代・歴代将軍の鷹狩りや茶会が催されてきた御殿山。
8代将軍徳川吉宗の時代に桜の植林が進められ、江戸庶民の行楽地、桜の名所として知られ多くの庶民に愛された場所です。
上野不忍池と周辺
上野三枚橋之図 絵師:細田 栄 出展元:国立国会図書館ウェブサイト
東京都台東区
現代でも、上野と言えばお花見と言われるように東京のお花見の名所ですが、江戸時代、江戸庶民の春の楽しみのひとつが上野の花見見物だったようです。
その規模も大きく、不忍池、中島弁財天、本郷台地の大名屋敷あたりまで、見事な桜並木が広がっていたと言われています。
飛鳥山
飛鳥山はな見 絵師: 歌川 広重 出展元:国立国会図書館ウェブサイト
東京都北区
桜の景色を描いた浮世絵の中でも、たくさんの作品が残っているのが飛鳥山です。
飛鳥山は広々とした丘陵がのびやかに広がり、沢山の人々が着飾って散策している姿や、丘陵でのお花見らしく、遠くに筑波山が描かれている絵などが残されています。