レモンと檸檬

野原こみち|2019年11月12日

冷蔵庫の野菜室のかたすみにレモンが転がっていました。
はて、何に使おうと思って買ったのか、それすらもう思い出せないほどなので、少々皮に弾力がなくなってシワが目立っています。

レモンを見ていると必ず思うことがふたつ。
ひとつめは、以前、引っ越しの時に蔵書を整理していたら、梶井基次郎の「檸檬」が5冊ほど出てきたこと。
当時は家人と私のふたりの蔵書が一緒くたになっていて、シャーロックホームズが2冊出てきたりなど、同じ本がかぶることはざらにありましたが、それにしても5冊とはなぜ・・・。家にあることを忘れて、新しく買うという間抜けな行動を二人して行ったとしても、それをどちらかが2回繰り返したことになる。笑い話ですが、いまだに謎です。

もうひとつは、世にも悲しく、そして美しい詩の、高村光太郎のレモン哀歌の一節を真似て、本当に皮からがりりとかじったところ、あまりの酸っぱさに悶絶したこと。
私がまだ10代の頃の話ですから、若気の至りです。あの酸っぱさといったら、思い出すだけで口の中に唾があふれてきます。

もう皮からがりりと噛むことはないですが、レモンは好きです。形が好き。色が好き。あと、檸檬という字面が好き。
檸という漢字も、檬という漢字も、ほぼレモンを表す時にしか使われないというのに、なぜかずっと覚えているのはその組み合わせの妙ゆえのことかもしれません。
檸檬の字面の良さについて、家庭で熱弁をふるったことないとは思うのですが、おそらくは我が家人も少なからず愛着があると思われます。
冷蔵庫のかたすみでしおれているレモンは、丸善の棚に置かれるレモン爆弾とはまた別の個体なのですが、妄想の中で爆発させて遊んでいないで、さっさとドレッシングにでも使おうと思います。

writer ライター
野原こみち
熱しやすく冷めやすく、興味の対象が移ろい易い性格ですが、小さな頃から本だけはずっと手放せません。古本屋は、多くのお店を巡るよりも、贔屓のお店に徹底的に通いつめる派。新刊を扱うお店も同じく。図書館は居心地重視。最近は南米の文学作品、幻想小説を偏愛気味です。