このところ強く思うことがある。
アメリカに住んでいる時より、日々のゴミの量が増えていると。
特にプラステックと総称するごみが多く出るのはなぜだろう。。と考えた。
例えば、スーパーに食料品を買いに行くと、野菜売り場の商品はほとんど袋に入っている。
アメリカで利用していたスーパーは野菜・穀類などはほとんど量り売りで、
必要な数なり量を袋に入れる。お肉や魚はプラステック容器にのってはいたが、
日本より1つの量が多くて、家で分けていた。<野菜の袋と、トレイ>
会計では有料だけど、レジ袋を買う人を多くみる。
薬局ではプラステックバックを二重にしてくれる。
持ち帰るのに、プラステックバックが丈夫なのは必須だ。
アメリカではプラステックバックを子どもが被っても窒息しないようにという理由で、非常に薄い。
日本のように持ち歩けるような代物ではなかった。
次にコンビニエンスストアでは、ひとつ買っても袋に入れてくれる。
うっかりバックを提示しなかったら袋に入れてくれて、袋を返したら、その袋は丸めて捨てられた。
このレジ袋をコンビニエンスストアの驚くほど多い店舗と利用者で掛け算すると、
<1日のレジ袋>の量はどうなるだろう・・・(小さな袋は再利用する用途が限られる大きさだ。)
洋服を買った時の何重にもされる紙とP.P袋にも、改めて驚いた。
なのに、断ると困った顔をされた、
確かにこの包装はサービスのひとつになっているからだろう。
加えて、衛生面を考慮して、夏祭りの綿菓子をポリ袋に入れることになった。
こどもの頃から物は袋に入っている状況。
どうにかならないだろうか・・・・。
そんなことを考えていたら、先日、和紙屋さんで手頃な700円の団扇を買ったら、
『贈答ですか』と聞かれた。
昨今はプラステックのうちわを街頭で宣伝ツールとして配布しているから、
扇子は売れても団扇は需要が少ないと聞く。悲しいことだ。
この状況を認識することが必要だと思う。
我が家のプラステックごみを減らす方法をこども達とも考えてみよう。
writer ライター
こにし あい
ジョージア州→カリフォルニア→ミシガン、米国期間限定生活後
東京で暮らし。モスクワ→ふたたび東京
元料理研究家の嗅覚で、美味しいもの探す日々。
料理の感性を磨ける食べ歩きと、出会った味を再現するのが好き。