当たり前の平和への気づき

岡野伸行|2024年7月28日

私は高校まで広島で育ち、進学と就職で広島を離れ、現在は東京に居を構えている。
地方出身、東京暮らしという境遇の人はとても多いはず。
“ふるさとは遠きにありて思ふもの”という言葉があるが、
この言葉の“遠き”が表すのは物理的な距離だけではなく、
時間的なそれも含んでいるように40歳を過ぎたあたりから感じるようになった。
田舎には何もなく、東京にはなんでもあると思っていた若い頃。
そこから四半世紀、それは幻想だと気付いた。

就職してからというもの、広島に帰省するのは、よくて年に一回ほど。
そうなると、久しぶりに会う両親や友人は、残酷なほどスピード感を持って老けていく。
“お前もな”という、さらに残酷な現実は傍に置くとして、独立してからというもの仕事で広島に帰ることが多くなったが、
東京という目まぐるしく変わる場所にいると、田舎の“変わらないもの”がとても愛おしく、大切に感じる。
あの頃、何もない…と嘆いていた自分に聞かせてやりたいほどに。
子供の頃、親が写真を撮ってくれた釣りの時の写真。
その背後に映る、山並みはもちろん、石や木にすら心が動く。
夏休みに毎日釣りに行っていた頃に乗っていた石を探しに行ったこともある。
“何もない“と思っていたが何より貴重な“変わらないものがある”のだ。

広島とて市の中心部は都会だ。広島駅前などは絶賛再開発中で、帰るたびにその景色が変わって迷子になる。
私が子供の頃、駅周辺にはまだ戦後のバラック街の名残があった。
教科書で学ぶ歴史はどこか他人ごとの“過去の事象“と客観視してしまうが
、戦後の名残を残すものは、そのまま歴史が繋がっているのだということを自分ごととして感じさせてくれた。

広島はおよそ80年前の夏に大きな悲劇に見舞われ、ヒロシマとなった。
広島や長崎にルーツを持つ人は、自らの命の存在に“奇跡”を感じる人が少なくないはず
(沖縄、東京大空襲ほか、先の戦争における全ての戦争被害者の方ももちろん同じだと思っています)。
私の祖母と父(胎内被曝)は爆心地からわずか700mところに住んでいた。
あの日、あの一瞬にどこにいて、何をしていたかで、私の存在すらもわからなかった。
そう思うと今ある命に、さらに深く考えが及ぶのだ。

“これ以上ない絶望“の中から立ち上がり、今日に至るまでの街の発展の一つ一つに様々なドラマがあったはずだ。
若い頃、親戚やその他の被爆者からさまざまな話を聞いた。
今となれば”話したくない“人に無理やり話させたのではないかと後悔もあれど、若さとはときに残酷。
今こうして私が他人にあの悲劇を伝えることは、きっと意味があったはずだと思いたい。
さまざまな辛い経験を聞いたが、その中でのとある“希望”の話がとても心に残っている。

広島は戦前からスポーツが盛んで、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボールなどで日本を代表する指導者が生まれていた。
原爆投下から12年後の1957年、焼け野原の市街ど真ん中、
原爆ドームの真正面に広島カープの球場(旧広島市民球場)ができた。
そしてナイター照明が初めて灯った日、当時は高いビルも少なく遠くからでもそのカクテル光線が見えたそうだ。
それを見た多くの人々が前向きな気持ちになれ、未来への希望とヒロシマが広島へと戻れたと感じた、と聞いた。
娯楽があること、スポーツが平和の象徴であることを、当時の広島市民は誰に教わることもなく感じたのだ。

広島は地方都市ではありながら、さまざまなジャンルのプロスポーツチームがあり、いずれも優勝を争える競合チームが多い。
広島にスポーツが根付いているのは、過去の悲劇から得たスポーツの意義の再認識、
そして指導者を大切にする風土があるからだと、広島を離れてから気付いた。
オリンピックはよく“平和の祭典“と形容されるがスポーツそのものが平和を象徴するものだ。
どこのクラブチームも、その理念に”平和“の文字が入っているが、実際には形骸化され、
本質を理解していないように感じられるチームも見受けられる。
プロスポーツが存在する意味、そしてそのまごうことなき幸せを、当たり前と思ってはいけない。
日常にスポーツ観戦があるのはこれ以上ない、とても贅沢で平和な時間なのだ。

2024年の春、紆余曲折を経て広島に新しいサッカースタジアム“エディオン ピースウィング広島”が完成し、
広島にまた新しい日常を生み出した。
旧広島市民球場の北側、広島城の隣にできたエディオンピースウィング広島は、まさに“まちなかスタジアム”。
原爆ドームや平和記念公園からも歩いて行ける距離にあり、
広島を訪れたアウェイのファン、サポーターにもぜひ立ち寄って感じていただきたい。
この秋にはもう一つの被爆地・長崎にもピーススタジアム コネクテッド バイ ソフトバンクというスタジアムができる。
人の上への原爆投下を、広島が最初で長崎を最後にするためにも、
名前に“ピース”が入るスタジアムからサッカーという世界的スポーツを通じて平和を発信し続けることになる。

過日、友人が貴重なチケットを手配してくれ、初めて広島の新スタジアムで観戦した。
私にとっては昨年までのスタジアムも青春の思い出が詰まったものであったのだが、
広島の色々な思いが詰まった新スタジアムは、控えめに言って“最高”だった。

当たり前の平和に、感謝。

writer ライター

岡野伸行

岡野伸行

1977年広島県生まれ。さかな検定2級
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp
writer ライター
岡野伸行
1977年広島県生まれ。さかな検定2級
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
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