昔取ったなんとか

岡野伸行|2024年6月19日

私は今でこそありとあらゆるジャンルの釣りを楽しむが、
いわゆる“ちゃんと”覚えた最初の釣りは鮎(あゆ)釣りだった。
鮎は石に付いた藻類を剥ぎ取るように食べる。
その餌を守るべくナワバリを持ち、接近してきた他の鮎を追い払う習性がある。
その習性を利用して、オトリ鮎をナワバリに侵入させる“友釣り”という世界的にも珍しい釣り方を私は幼少期に覚えた。

田舎だったため、学校の帰りに通る川を覗き込めば、ぐるぐると縄張り争いをする鮎の姿を見ることができた。
鮎は一年魚のためその釣りのシーズンは短く、釣り人たちは熱くなるのだ。
西日本では川魚の市場価値は高く、釣った鮎を買い取ってくれる施設が流域にあったため
私をはじめ数人の子どもたちも鮎釣りで小遣い稼ぎをしていた。
学校帰りに覗いた川で、鮎が餌を食むときにキラリと身を翻した瞬間、“チャリーン”と音が聞こえた・・・。

1匹でも多く釣ることに目的ができれば、上手くなるのは必然。目を瞑っても鮎が釣れる自信があった。
若かりし頃、腕試しのために大会などにも出てみたが、それなりに釣れる自信はいつでもあった。
それだけ鮎の友釣りは、私にとって“作業”とも言えるほど、体に染み付いていた。
しかし高校を卒業後、大学への進学で神奈川県、岩手県へと出ることになった私は、
他の釣りにうつつを抜かし、鮎釣りに行く回数はめっきり減った。

昨年、サラリーマン生活から脱したこともあり、スケジュールを自分がコントロールできるようになった。
いつもお世話になっている先輩たちに連絡をとり、“解禁日”に行ってみることにした。

ここ数年、釣りに飽きたというわけではないのだが、
たくさん釣るということへの興味がなくなり、2〜3匹釣ったらもういいやと竿を置き、
地元の人たちとの交流や、自然観察などをすることもある。
それはそれでいいのだが、その鮎の解禁日だけは久しぶりに夢中になった。

釣り用に放流された魚たちであり、
河川の地理的理由から再生産にも寄与しない魚たちであるがゆえの罪悪感の薄さもあったのかもしれないが、“釣れる“鮎釣りは面白すぎる。

オトリ鮎の元気度が釣果を左右するだけに、釣れていれば常に元気なオトリが手元にいるという好循環が生まれる。
最近、すぐ飽きちゃうんですよね・・・と、連れていってくれた先輩と釣り場に向かう車中で喋っていたのだが、
釣れる鮎釣りは飽きない。本当に久々に無心で川に立つことができた。

鮎釣り自体は、久しぶり。
それでも幼少期に覚えた体の動きは忘れないもの。
“息をするように”釣りを楽しんだ。午前中で55匹と、
順調にいけば最終的には3桁釣りができそうであったが、結果85匹でフィニッシュとなった。

心地よい疲れで、その日はよく眠れた。
そして翌日家族のために時間をかけて鮎を焼いた。
炭火でじっくりと、焼くというよりは“乾かす”といったイメージで仕上げていく。

その鮎に子供達が入れ食いとなり、私はビールを流し込む。
鮎釣りがある夏に、なんだか子供の頃を思い出した。
思えば、私が初めて鮎釣りをしたのが小学校5年生。息子ももうその歳に近づいた。

息子と一緒に鮎釣り。

うん、悪くないな。

writer ライター

岡野伸行

岡野伸行

1977年広島県生まれ。さかな検定2級
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp
writer ライター
岡野伸行
1977年広島県生まれ。さかな検定2級
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
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