私は生まれ育った広島を離れ、およそ30年が経過。
そして東京に生活の拠点を置いてからも四半世紀が過ぎた。
しかし自分の中でのアイデンティティは広島人であり、
スポーツ観戦に関しては完全に広島のチームを応援し、街を歩いていても「広島」の文字に反応する。
行政区が“東京”とは言え、いわゆる江戸っ子と呼ばれる代々東京に住んでいるわけではなく、
“移住者”に近いでしょう。
そして子供達を介して、人とのつながりが強くなるに連れ、同じ境遇の人が多いことに気づく。
文化やコミュニケーションが成熟するまでに、一体どのくらいの時間がかかるのだろうか?
などと考えることがある。
お祭りなどはその典型で、本来“収穫祭”などといった“目的”が存在していたはず。
あちらこちらで“よさこい”や“ソーラン”などが開催されていますが、
そのルーツを伝えることもなく、現在ではほぼ形骸化しているものばかりに感じる。
そんな話ばかりしていると“小難しいおじさん”と言われてしまう昨今ですが、私は“そもそも論者”の一面がある。
日本の経済成長期に経済分野での東京への一極集中が加速し、地方から東京への人の流れができた。
当時はその方が日本の生産性を上げるための最適解だったのかもしれない。
しかし“失われた30年”と揶揄されるように、現在では東京の生産性が高いとは言えない状況にある。
そして一方では過疎化、地方創生などと叫ばれる。
私は今でも広島が好きだ。
義務教育まで税金で育ち、納税者の立場になって広島を離れたことに、後ろめたさも感じる。
現在ではふるさと納税の制度で、その罪悪感を薄めることはできるが、
本質的に地方から東京へ、の流れは何ら変わっていない。
個人的には、故郷に何かしたい!と思っている東京在住地方出身者は少なくないと感じている。
そんな気持ちと政治・経済をうまくマッチングできないものかと思いを巡らせる。
さて、次の世代のことを考える、またつかみどころがなくなってくる。
わたしにとって広島は、心のよりどこととも言える紛れも無い“ふるさと”なのであるが、
私たちの子供のことを考えると、東京が故郷なのである。
現在の私が抱く望郷心とは違うものを抱くはず。
前回の日記で「わんぱく質」について書いたが、地方の野山でのそれではなく、
東京の郊外でいかに“わんぱく質”を満たしてやれるか?
そして東京を大切なところだと感じてくれるか?それが私の大きな課題でもある。
と、ものすごく難しく、壮大なことを考えていると思いきや、楽観的である。
“親の心 子知らず”と言われるように、子供たちは子供たちのなかで、学んでいくはずだ。
その機会を親は与えることだけに存在価値があるのだと思っている。
この情報に溢れた社会で“自らの経験“が今後大きな価値になる。
そして実体験が“ふるさと”の源泉になるはずだ。
writer ライター
岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp