Chat GPTをはじめとした生成AIが身近に迫る現代。
生活や仕事に取り入れるのを“拒む人”と“積極的に取り入れる人”との二極化が進んでいるように思う。
そう感じるのは、私が40代中盤という微妙な年代にいるからかもしれない。
60代は完璧に前者で、30代は完璧に後者かもしれない。
新しいものへの拒絶は、人間が生物として持つ警戒心。
新しいものへの興味は、人間が生物として持つ好奇心。
人間にとってのポジティブとネガティブはこの二つに起因し、
経験と年齢を重ねるとともに、前者が後者を上回ってくると私は思っている。
では私がAIに関してどう感じているかというと、自分に興味があること以外は、
AIが勝手にやってくれればいいな・・・くらいにしか捉えていない。
AIは検索のためのものではなく、ディベート相手にするべきだと、とある企業家が言っていた。
確かにそうなのだろう。
そして時代が進めばAIの知能は現在の人間と猿の差から人間と金魚ほどの差がついてしまうと言う。
これは脳のニューロンの数をハードウェアと仮定した話ではあったのだが、
確かにと頷く部分も多かった。全ての言語で、医学の知識も、法の知識も持ち合わせる。
そんな人間など存在できるはずもなく、最大公約数中の最大公約数を導き出せるに違いない。
AIが導き出す結論通りに進めば、喧嘩もなくなれば戦争も無くなるだろう。
大きな病気にも罹らず、長生きする人ばかりになるだろう。
だが、その未来が幸せなのだろうか?と、私のアナログな脳みそはどうしても考えてしまう。
そもそも人は“不完全な生き物”だからこそ、人生に意味があるのだと思っている。
人は喧嘩し、失敗をし、やがて死が訪れるからこそ人生は面白い。
空腹で泣く赤ちゃんが、欲望を満たせたら笑い、
わからなかった宿題ができるようになった小学生は得意げな表情になる。
失恋や受験と挫折を味わった先に得た成功体験が自信になる。
私の趣味の魚釣りだってそうだ。
毎回うまくいっていてはつまらない。
自ら考えて動く先に初めて自分の心が動く。
誰かに教えられた通りに釣れても私にとってそれはただの“作業”に過ぎない。
つまりは“欲求を満たすこと”こそに人生の意味があると思っている。
物欲然り、知識欲然り、あらゆる“欲”が人類の進化を司り、今AI時代の入り口に辿り着いている。
さて、私にはAIに対して大きな疑問がある。
例えば人が死ねなくなったとしよう。
現在でさえ、地球において人類は定員オーバーだとする見解もある中で
AIは地球をどのように維持していく結論を出すのだろうか?
欲の話に戻れば、全ての人間が持つ承認欲求と言う“欲”を全て満たすことは不可能だ。
ましてや為政者たちの欲を満たしていては最悪な結末しか考えられなくなったりもする。
人間では考えられない難題にAIがどんな答えを導き出すのかを知りたいと言うのが、
私の欲でもあったりする。
いずれにせよ、新たなテクノロジーや思想は、その使い方と付き合い方次第。
愛が詰まったAIであってほしいし、人間関係はAIより愛を大切にしたい。
そして人間でなければ意味がないことを、もっともっと探究していきたい。
私の大好きな魚釣り、そして映像制作は、まさに人間でなければ意味がないと思っている。
AIが大きな魚を釣らせてくれても、私の心はときめかない。
AIが作った映像で人々を感動させても、私はこれっぽっちも嬉しくない。
そもそも、釣れない時間、編集で悩んでいる時間を私は無駄な時間だと思っていない。
writer ライター
岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp