人間の欲望は尽きない。しかしそれこそが人間の象徴でもあると思う。
100年前の人々にとって、今の時代がどれだけ豊かで恵まれているか想像に難くない。
それなのに現代の日本人は幸福度が低いと言うのだから、なんともはや…といった具合。
天気予報一つ取ってもそうだ。“来週”台風が来る。
それがわかるだけで、どれだけ備えられ、大事な命、財産を守れるか。
100年前の人にとってとても有益な情報だ。それが現代では“来週”どころか、
“明日“そして今後の進路も予測できる。
それなのにそれでも情報が足りないかのような世の中の感覚に、
現代人の”生物“としての弱さを感じることがある。
人間とは好奇心あふれる生き物だと思う。そしてそこから想像し、創造していく素晴らしい生き物のはず。
情報は本来ネガティブを打ち消しポジティブに繋げる存在であるはずだが、
現代では有り余る情報を処理できずにネガティブな方向に向きがちだ。
かつては自然災害や病気など未来の恐怖が生活と隣り合わせで、
その恐怖心を克服、緩和するために神の存在があり、宗教というものが生まれてきたのだろう。
しかし私には“科学”が神を追い出したようにすら思えてしまう局面もある。
“知らなくても良い”情報は、当たり前であるが知らない方が良いのである。
グローバル化の流れの中で、海外の紛争や災害の情報が嫌でも届いてくる。
誤解を恐れずに言えば、果たして日本にいる私たちに、その原因や善悪の判断ができるのだろうか?
遠い異国の、宗教も人種も異なる人々の間に入ることが、果たして正義なのであろうか?
無論私とて、紛争地の映像を見ると心が傷むが、
人間はもっともっと身近にいる“直接”会える人に目を向けるべきなのではないかとの気持ちが強い。
たとえば東京の住宅街などに住んでいれば、
自らの生活する半径200m以内にお年寄りをはじめ困っている人たちがいる。
そんな人たちに思いを寄せ、寄り添うことから始めるべきで、
そんな小さなコミュニティのつながりの最終形態として世界平和がある。
多様性が叫ばれる昨今、まずは身近なコミュニティの人々の多様性を理解し
“知らなくても良い”情報は能動的に排除していくことが、
メンテルヘルスを考えても大切なのではないかと思ったりもする。
「足るを知る」と言う言葉が、今やとても輝きを持って社会に問いかけているように感じる。
政治や経済への批判が日々の生活の捌け口として使われているように思うが、
「足る」を知ればそんなに悲観的になるものでもないのではないか?
日本の社会のインフラ、治安、食べ物、自然、どれをとっても素晴らしいのだと思えるはずだ。
私は魚釣りを通して、日本の風土の素晴らしさを日々感じる。
そもそも論として、なぜこの国が長きにわたり文化を積み上げていくことができたのかを考えてみると、
絶対的に恵まれた自然の存在が結びつく。
暖流と寒流がぶつかり、標高の高い山と豊かな森にはミネラル豊富な川が流れる。
世界にも稀なほどの多様性を持った生態系が形成されている。
“貝塚”と言う言葉がある。毎日干潟を掘れば潤沢に二枚貝が取れる。
当時の人口であれば採り過ぎることもなく、再生産量の方が上回っていたであろう。
すなわち“食い物”に苦労することがなかった。
魚の量だって、今とは比べ物にならないほどだったはずであり、
毎干潮ごとに潮溜りをパトロールすれば比較的大きな魚も取り残されていたはずだし、
大量のイワシなどの群れが捕食魚に追われて浜に打ち上がることも珍しくなかったはずだ。
そしてその豊かさは海だけではなく、春の山に入れば山菜は山ほど採れる。
“逃げない”食糧がたくさんあったことが、日本が発展した“そもそも論”として外せない要素であると考えている。
コロナが過去のものになりつつある2024年がスタートした。
“足るを知る”をあらゆる局面で意識して、少ない情報でポジティブに過ごしていく。
そんな一年を送っていきたい。
writer ライター
岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp