誰かのことを好きだとか、嫌いだとか、言葉にできないほど辛い思いをしたとか、思いがけずうれしかったこととか・・・。
自分の心に浮かんだことをすべて口に出せるとは限りません。子供の頃なら思ったことをすぐに口に出しても許されたかもしれませんが、大人になると自分の立場を考えたり、相手の気持ちを思いやったり、その他無数にあるさまざまな事情で、なかなか口に出しづらくなります。顔では平静を装って、どこにも出さずに仕舞い込んで、自分でもなかったことにしてしまう。
相手の心を考えられるきちんとした人ほど、自分の思いを押し込めてしまうことが多いのではないでしょうか。
だけど、押し込められた思いはどこに行くのでしょう。そのまま時間が経つと忘れてしまう?それとも心の奥底に化石のようにこびりついたまま、ときどき胸をキリキリさせる?
その思いが強ければ強いほど、心の中でいつまでも暴れて苦しいということもあると思います。
特に、恋や愛に関することならなおさら、理性でなんとか抑えても、強い気持ちは一筋縄ではいきません。
この本には、詩と小編が交互に綴られています。
詩は次に続く小編の予告のようであり、物語へと入る鍵のようでもあります。
著者の大宮エリーさんは、作家、脚本家、CMディレクターなど多彩な顔を持っているので、一度はお名前を目にしたこともあるかもしれません。
読み始めたときは、何を思いこの本を書き始めたのだろうと不思議に思いましたが、全て読み終わり、その優しい言葉の数々を思い返すと、なんとなくその理由がわかるような気がしました。
世の中にいる人それぞれに、行き場を失った思いがあることを思うと、切なくなります。
私自身、今までどれほどの思いを胸の奥にしまい込みながら生きてきたのか、よくわかりません。
強い思いが心に浮かんだとき、その思いがうまれた理由を深く考えたのだろうか。
きちんと自分で向き合いもせずに、ただただ不都合だからと押し込んではいなかっただろうか。
タイトルには伝える相手は書かれていません。ただ、「思いを伝えるということ」。
自分自身に・・・と解釈しても間違いではないのだろうと思います。
最後に「夕日を見る人々」に続く「エピローグ①」にある言葉を引用します。
自分への思いを
きちんと持ってください
自分を守れるのは自分
自分をとことん愛せるのは自分
ときどき自分自身にも
きちんと思いを、伝えて欲しい
そう思います
思いを伝えるということ
大宮エリー
文春文庫
(文:野原こみち)