水俣病問題が社会的に注目されるきっかけとなった「苦海浄土ーわが水俣病」を書いた作家として知られる石牟礼道子。
水俣病の被害者、死者に寄り添った鎮魂の書とも言われる名著「苦海浄土」は、そのテーマから深い悲哀の色を纏った物語ですが、わたしはその中で書かれる水俣の人々が暮らしていた日常のシーンがとても好きでした。
この随筆は、そんな日常の中の「食」にまつわるエピソードが多く書かれています。
昔の人は現代よりもずっと、節句の行事食を大切にしていたのだと思います。
柳田國男は日本人の伝統的な世界観の中に「ハレ(晴れ)」と「ケ(褻)」の概念が存在すると言いました。四季とともに暮らしてきた日本人の中には、自然の中で暮らす方法が体に染み付いていて、民衆の文化として何世代も伝承されてきていました。季節の移り変わりは、その時々で収穫し口にする食べ物が変わっていくことと同意であり、昔の人たちは自然と一体となるような感覚で、ハレの日である節句を楽しみ、また日常に戻るという、めりはりをもって日々を過ごしていたのでしょう。
著者の幼い頃のお話で、家族やご近所さんが寄り集まってお正月料理を拵えているエピソードがとても読んでいて楽しかったのですが、文を読みながら頭に思い浮かんだ情景は、現代よりも季節の色彩がくっきりと際立っているように感じました。
今は、スーパーに行けば一年中だいたいどんな野菜でも食べられますし、南半球にある季節が逆の国でとれた作物も口にすることができます。その分、便利になった代償として、人々の「自然とともに生きている」という実感は少しずつ薄れているのかもしれません。
もちろん、それは「昔はよかった」などと一言で片付けられるような単純なことではないと思います。
時代は移りゆくもので、その中で昔は考えられなかったようなことが今では当たり前になっていて、新しく広がった素晴らしい世界もある。現代の主婦は日本の自分の家にいながら、ネットでレシピを手に入れて、世界の国の料理にチャレンジすることも簡単にできます。
ただ、外から流行として訪れる新しい料理だけではなく、自分のご先祖さまが昔食べていた地域に根ざした伝統食も、たくさんの人たちが忘れずに作り続け、後世に伝えていけたら、それが一番素晴らしいことだなと思います。
食べごしらえ おままごと
石牟礼道子
中公文庫
(文:野原こみち)