夏みかん酸つぱしいまさら純潔など
句集「春雷」「指環」
鈴木しづ子
河出書房新社
十七音という限られた文字数の中で季節感を表す季語を入れて表現する短い詩、俳句。この日本独自の定型詩は、日本で教育を受けた人であれば誰もが子供の時に習うものです。松尾芭蕉や、小林一茶のような有名な俳人の句は、ほとんどの人が当たり前のように暗唱できるほど、国内ではスタンダードな文芸と言えると思います。
一度でも作句したことがある人は気がつくことではありますが、文字数に制限のある中で詩作をするということは、なかなか思い通りにいきません。余計な言葉を入れることができない分、表現したいことを如何に簡潔に美しくまとめるかを悩むことになります。その分、限られた文字の中で磨かれ研がれた言葉は、より鮮烈に人の心にささるのだと感じます。
鈴木しづ子は、近代の俳人の中で、私がとりわけ好きなひとりです。大正8年生まれなので、すでにこの世を去った私の祖父祖母と同じくらいの年代の方。戦禍を生き延び、その中で婚約者を亡くし、時代に翻弄されながら作品を作り続けました。社会的な女性の立場が弱く、奔放な生き方をすることに周囲の眼もかなり厳しい中でも、包み隠さず自分の真実の心を俳句の中に表現していたのだろうとわかる句をいくつも残しています。
女性が自由に、正直に生きることがどれほど難しく、また、風当たりが強かったことか、想像するしかできませんが、「娼婦俳人」と揶揄されても、自分の歩む人生を誇るように正直な心を俳句の中に表現し続けた姿には、強い覚悟を感じます。
「君死にたもう事なかれ」と戦争を厭う歌を書き、当時痛烈に批判された与謝野晶子も、「まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき。」と書き残しています。
まことの心を隠さずに創作に向かう人は、どんな暮らしをしてどんな環境に身を置いていても、気高く崇高な精神の持ち主であるといえるのではないか。創作の世界の片隅で、その煌めきを反射させて未来に続く人たちの足元を照らすことができたら、そんな風に思っています。
(文・野原こみち)