胞子文学名作選
田中美穂 編
港の人
京都は大原の寂光院というお寺は、もみじで有名ですが、初めて訪れた時まだ秋の紅葉には少し早い時期で、わたしは有名な紅葉よりも庭にある見事な苔にすっかり目を奪われてしまいました。
かわいいお地蔵様がふかふかした苔のじゅうたんの上に立っているのを、行きつ戻りつしながら、長いこと見ていました。
一口に苔といっても、本当に多様な種類が存在するので、おそらく知れば知るほど奥深い世界なのでしょう。興味深くも、詳しく調べ出したらその先にある沼にハマりそうで、少しおそろしくもあります。
苔やきのこ、わらびなどのシダ植物は、種から育つ植物とは違い、胞子という細胞を使って繁殖します。 胞子で増えるいきものと聞いて他に、南方熊楠が新種を発見したことで有名なそれはそれは不思議な粘菌についても思い出しますが、発酵を促す麹などの菌類もそういえば胞子で増えるもの。
原始的ないきものなのに、まだまだ解明されていないことも多く、ミステリアスでやっぱり心惹かれるものがあります。どんどん沼に近づいているような・・・笑。
さて、今回紹介する「胞子文学名作選」は、そんなシダ、苔、菌類、海藻など、胞子でふえるものたちの活躍する文学を集めた一冊です。
編者の田中美穂さんは、倉敷にある有名な古本屋「蟲文庫」店主でもあります。
この本の素晴らしいのは、太宰治、井伏鱒二、松尾芭蕉など一流の作家たちの作品を詰め込んだアンソロジーであることはもちろん、そのブックデザインが秀逸だということ。
まず、装丁から、カバーに無数の穴が空いていて、そこから箔がのぞいているという凝ったデザイン。紙面には様々な風合いの紙が使われていて、手触りにも変化があって読んでいてとにかく楽しい。
特に私が好きなのは、井伏鱒二の「幽閉」のページ。ぽこぽことするクラフト紙に似た紙質ですが、このページなんと活版印刷で刷られているのだとか・・・。
こんな楽しいデザインの本に出会えると、やっぱり紙の本を手にできる幸せについて、しみじみ考えてしまいます。
世界的な物価高、資源不足の波は出版業界にも迫りつつあると耳にしますが、良質で楽しい本はデジタル化がどれだけ進んでも残っていてほしいな、と思います。
(文・野原こみち)