東京メトロ溜池山王駅と虎ノ門駅の中間あたり、The Okura Tokyo(旧:ホテルオークラ東京)に隣接する地に日本初の財団法人となった私立美術館「大倉集古館」はあります。オリエンタルな雰囲気も醸し出す堂々とした外観からは、その歴史と収蔵される数々の貴重な美術品を守ってきた風格を感じられます。
今回は、副館長の髙橋さんにその施設内部をご案内いただきました。
大倉集古館とは
大倉集古館は明治から大正にかけて活躍した実業家・大倉喜八郎(1837〜1928)が設立した日本で最初の財団法人の私立美術館です。
喜八郎は明治維新以来、産業の振興、貿易の発展に力を尽くし、育英、慈善事業に多く功績を残しました。一方で、美術品の海外流出を嘆き、その保護と我が国の文化の向上に努めた上、50余年にわたって蒐集した多数の文化財と土地・建物および維持資金を寄付し、大正6(1917)年に財団法人大倉集古館を設立しました。
大倉喜八郎と嫡男喜七郎
関東大震災前の大倉邸・大倉集古館
大正12(1923)年の関東大震災では、開館当初の建物と陳列中の所蔵品を失いましたが、昭和2(1927)年、伊東忠太博士の建築設計による耐震耐火の展示館が竣工し、災禍を免れた優品を基にして、さらに所蔵品を増加し、翌年10月に再び開館しました。
再建直後の大倉集古館。右背後に災火を受けた建物が見える
さらに喜八郎の嫡男喜七郎(1882〜1963)が父の意思を継ぎ、館の維持経営に絶大な援助を行い、自らが多年蒐集した名品、特に近代日本画を多数寄付することで所蔵品の充実を図りました。
喜八郎の嫡子喜七郎は、イギリス留学中に自動車の操縦・修理技術に精通し、1907年にはロンドン近郊のブルックランズ・サーキットで最初に行われたカーレースで2位入賞を果たすなど、自動車通としても知られました。
第二次世界大戦に際しては幸いにも空襲の難を免れ、昭和35年にはホテルオークラ開業に合わせて大規模改修を行いました。中国古典様式の名作である展示館は、平成10年に国の登録有形文化財となりました。そして、令和元年9月には、5年以上に及んだ増改築工事を経て、The Okura Tokyoと共に再開館しました。
所蔵品は現在、日本・東洋各地域の絵画・彫刻・書跡・工芸など広範囲にわたり、国宝3件・重要文化財13件及び重要美術品44件をはじめとする美術品約2500件を収蔵しています。
大倉集古館と伊東忠太博士
大倉集古館の建築を語る上で、欠かせない人物が伊東忠太博士です。日本近代を代表する建築家・建築史家であり、主な作品には平安神宮、兼松講堂、大倉集古館、祇園閣、靖国神社神門、築地本願寺、湯島聖堂などがあります。
大倉集古館は、大正12(1923)年の関東大震災により当初の建物を焼失した後、新たな展示館の建築設計を東京帝国大学教授・伊東忠太博士に依頼します。そして、昭和2年(1927)に竣工、翌年には再開館を果たしました。当時は現在の展示館から長い回廊が続き、途中の六角堂を経て外門に至る壮大な造りとなっていました。
幸いにも第二次世界大戦の戦禍を免れ、昭和30年代には隣接するホテルオークラの建設に伴い建物が整理され、同37(1962)年に第一次の大規模な改修工事を行いました。中国古典様式の名作である展示室は、平成2(1990)年には東京都の歴史的建造物に選定されます。
色合いや意匠がどこか東洋を思わせる外観
朱色の柱と窓枠、白い天井と壁のコントラストが美しい二階のテラスからは、広場の美しい水盤や向かいのThe Okura Tokyoが臨めます
伊東忠太博士自ら、建築進化主義と名付けた独創的な歴史観は、有名な「法隆寺建築論」で法隆寺建築の源流をギリシア文明に関連付けるなど、日本建築を国土に固定したものと限定せず、世界の文明の流れとの関係性の中で理解しようとするものでした。また、中国、インド、ミャンマー、エジプト、トルコ、欧米を歴遊して建築や文化を調査し、そこから着想を得た建築構成や意匠を自らの設計作品に取り入れました。特に、故郷山形で幼少期に親しんだ妖怪たちや東西の空想上の動物たちを写したモティーフは、その独特な建築空間に一層不思議な雰囲気を付け加えています。
大倉集古館の建築にもこの思想が反映され、屋根の上や展示室2階の斗栱(ときょう)と呼ばれる軒を支える柱の上部に、吻(ふん)とよばれる幻獣、階段親柱には獅子、2階天井には龍の姿がみられます。
コロンとしたフォルムが一際可愛らしい獅子
中国由来の幻獣 吻(ふん)をモチーフにした斗栱
2階展示室で天井を見上げると龍の顔と相見えます
展示室
館内の展示室は、1階と2階にわかれていますが、改修の際バリアフリー化されエレベータでの移動が可能になりました。展示ケースや照明も一新され、改修以前よりもさらに展示物が見やすいように配慮されています。
柱の多い特徴的な造りの内装は、伊東忠太が喜八郎の想いを汲み、耐震を意識し設計していたことがうかがえます。
横山大観《夜桜》(左隻) 昭和4年 大倉集古館
改修の際増築された地下階。
企画展「季節をめぐり、自然と遊ぶ~花鳥・山水の世界~」開催中
会期:2022年1月18日(火)~3月27日(日)
古来より人々は、表情を変える自然の姿に美や意味を見いだし、その形を写し取ろうと試みました。 季節ごとの花や鳥の美しさ、山岳や河川の雄大さ、そして変転する天象や地象を造形化したものは、その姿形や特徴から吉事の兆しと認識されるようになります。更に自然の造形は、特定の季節のイメージと結びつくようになります。春に咲く花は多くありますが「春は桜」といった結びつきが生まれ、私達に広く共有されるようになりました。そして、移りゆく季節のイメージは、人々の人生観と結びつき、人生や心情を表現する媒体としての役割も担うようになります。
本展では、花鳥や山水などの自然の姿を写した和漢の絵画・書跡・工芸品を取り上げ、季節や時の移ろいを意識しながら、そこに込められた意味や表現方法などを探っていきます。
企画展「人のすがた、人の思い-収蔵品にみる人々の物語-」予告
会期:2022年4月5日(火)~5月29日(日)
日々の暮らしにおける人々のすがたを表現した作品を通して、宮廷、行事、生業、行楽などさまざまな活動の場で人がどのようにあらわされているかを探ります。また人の思いを反映し、次の世代に受け継がれた和歌やデザイン、造形、規則などのあり方を示す資料をとりあげます。「鳥毛立女図(模写)」をはじめ、久隅守景の重要文化財「賀茂競馬・宇治茶摘図屏風」、宮川長亀の「上野観桜図・隅田川納涼図屏風」、「抜荷禁制札」などをご紹介します。コロナの影響によって人々の動きが大きく制限されるなかで、改めて人と人の交流の大切さを見直してみたいと思います。
https://www.shukokan.org/
大倉集古館から上品倶楽部読者の皆様へ
大倉集古館は、港区葵町(現:虎ノ門)の大倉邸の一部に、明治の終わりに誕生した美術館です。明治から幾多の変遷を遂げながら、激動の時代を乗り越え現在に至ります。
開館当初、このあたりは高台で、江戸の町を見渡せる場所でした。ご来館の際は、当館の建物や美術品とともに、現在はThe Okura Tokyoの庭園となっている、起伏のある公園も散策してみてください。当館の所蔵品が点在しております。
編集後記
その建物の美しさや荘厳さを実際に見て圧倒されたことはもちろんのことですが、施設に足を運んでみると、創立者の大倉家の美術品に対する真摯な想いを、現在のスタッフの方々が受け継がれ、熱意を持って美術品を守られていることがわかりました。世代を乗り越え、人々の手で守られてきた文化財を今後も大切に守っていく役割をもたれた特別な美術館だと思います。大倉集古館に収蔵された美術品の数々を一度に見ることは難しいですが、今後も企画展などで少しずつ拝覧できる機会があります。ぜひ、皆様も大倉集古館に足を運んでみてください。
大倉集古館
<アクセス>
・東京メトロ南北線 六本木一丁目駅 中央改札(泉ガーデン方面)より5分
・東京メトロ日比谷線 神谷町駅 4b出口より7分
・東京メトロ日比谷線 虎ノ門ヒルズ駅 A1またはA2出口より8分
・東京メトロ銀座線・南北線 溜池山王駅 13番出口より10分
・東京メトロ銀座線 虎ノ門駅 3番出口より10分
〒105-0001東京都港区虎ノ門2-10-3(The Okura Tokyo前)
TEL:03-5575-5711
FAX:03-5575-5712
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
月曜日(休日の場合は翌平日)、展示替期間、年末年始
※展覧会内容、出品作品、会期、展示替え日など都合により変更になる場合がございます。
WEBサイト: https://www.shukokan.org/