失われたドーナツの穴を求めて/芝垣亮介・奥田太郎 編
さいはて社
私は謎ときが好きです。しかしながら、シャーロック・ホームズのような天才的な観察眼も少しのヒントから謎を解き明かしてしまう推理力も、残念ながら持ち合わせていません。じゃあ何が好きなのかというと、自分が納得するように謎がとかれていくことが好きなので、解くのが自分じゃなくても一向に構わないわけです。とどのつまりは、ただの怠け者なのではないかと言われたら、確かにその通りですと開き直るしかありません。誰かが「こうしてこうすると謎が解けますよ」と説明してくれて、それをふむふむ・・・と聞いているだけで満足するのですから怠け者以外の何者でもなさそうです。
ところで、もう一つ。私はドーナツも好きです。味の美味しさももちろんですが、まずあの形が好き。幼い頃、なぜドーナツには穴があいているんだろうかと真剣に考えていたこともあります。そして、最初にそんなドーナツの穴についての疑問を抱いてから数年後、強烈にお菓子作りにハマった時期に穴をあけずに作ったドーナツの真ん中が見事に生焼けの生地で残り、あの形は非常に理にかなった造形であったのだと、自らの身を持って知ることになりました。
そんな、小さい頃からドーナツ好き、謎解き(解かれ?)好きの私が、この本を見つけて、素通りできるわけがありません。
「失われたドーナツの穴を求めて」は、さまざまな分野の研究をしている研究者・学者の方々が、ご自身が専門としている学問上で、ありとあらゆる方向からドーナツの穴について考えるという、なんとも魅力的な一冊です。
言語学、歴史学、経済学、数学、哲学それぞれの方向からドーナツとドーナツの穴について考える。その過程で不思議なことにドーナツに関係がなさそうなことにも繋がったり、そもそも日本語の「穴」の概念に関する曖昧さだったり、世界中で知られるほど有名なお菓子であるドーナツというものの本当の起源はベールに包まれていたり・・・と、色々なことが浮かび上がってきます。
「なんのために勉強するんだろう」そんな疑問は、多くの学生が一度は胸に抱くと思いますが、それに対するひとつの解があるとするならば、物事を多角的に見れるようになるため、という事かもしれません。ドーナツひとつを手にとってもこんなに多くのことに結びつくならば、それだけで豊かな世界が見えるような気がしませんか?
(文・野原こみち)