ひとのこころとからだ
いのちを呼びさますもの
稲葉俊郎
アノニマ・スタジオ
「いのち」というものの意味。
それは、我々人が、幼い時からおそらく死ぬ間際になってまでも、追いかけ続けるよう与えられた命題かもしれません。
普段当たり前のように、日々の暮らしの中にいると、「健康であること」が当然のようにある前提として、他のありとあらゆる別の問題に気を取られてしまいます。でも、いざ、病気になってみると、「ただ健康で生きている」という状態が、どれだけ有難いものなのか、知ることになります。それは、病気になったことがある誰もが、感じることではないでしょうか。
私は子供の頃、よく熱を出す子供でした。風邪から肺炎へ移行してしまい、入院することもしばしばあったのですが、眠れない夜に、ひとり病室の天井を見ながら、元気なときの自分と、今こうやって病気で寝ている自分との違い、また、自分よりももっと重い病気を抱えている人と、自分との違いはなんだろうかと、考えていたのを覚えています。
この本の著者の稲葉俊郎さんは、医療現場で臨床医として活動されている医師の方でもあります。稲葉さんも、子供の頃はからだが弱く、病院で過ごされた時間が長かったそうです。そのことが、後にご自身の職業を選ぶきっかけに繋がったのかもしれないと、本誌の中でも記されています。
お医者様が書かれた本と聞くと、さぞむずかしいのだろうと構えてしまうかもしれませんが、この本は、専門書などを隣に置いて紐解かなくてもいいように、とてもわかりやすく、飲み込みやすい言葉で綴られています。
人の細胞は、約60兆個の細胞の集合体で、命はそれら一つ一つが調和していることから成り立っており、日々を生きることは、綱渡りのように命がけで、実に奇跡的なこと。
私たちは、自分の体の中でどんなことが起こっているか、日々考えもしませんし、ただ何となくでしかそのことをイメージできません。しかし、確かに私たちはこの途方もない数の細胞の塊でできていて、その細胞の調和の中で、よろこんだり、かなしんだり、なやんだりと、心を動かし続けています。からだと心は互いに寄り添っているものだから、自分のからだのことを考えることは、同時に自分の心の中を思うことであるかもしれません。
いのちを考える。からだを考える。こころを考える。それをすることが、自分自身を一歩先へ進ませるための叡智であるかもしれないと、この本に触れたことで感じることができました。
(文・野原こみち)