忘れられた巨人/カズオ・イシグロ/早川書房
年がら年中、何か本を読んで暮らしていて、そのことをとても幸せに感じている私ですが、そんなたくさんの本との出会いの中でも、強烈に心に何か突き刺さる、そういう、ある種特別な作品に出合うことがあります。そういった“特別な”作品は、不思議なことに、なぜか何か悩んでいたり、悩む事すらできなくて途方に暮れているときに、知らずに手にとることが多いです。
さて、今回ご紹介する「忘れられた巨人」作者のカズオ・イシグロさんは、幼いころから日本とイギリス、二つの文化を背景に育ち、英国籍を取得し、イギリスの作家としてデビューしています。
1989年には「日の名残り」という作品で、イギリス文学の最高峰ブッカー賞を取得、2005年に発表された「わたしを離さないで」は、映画化もされ、日本でも話題になりましたので、ご存知の方も多いはず。わたしも最初にカズオ・イシグロ作品に触れたのは、「わたしを離さないで」が最初でした。
その、静かで確かな情景描写で徐々に話の中に引き込まれ、やがてストーリーの深淵に、衝撃の真実が見えたとき、思わず戦慄を覚えたことを思い出します。
その「わたしを離さないで」から10年経ち、この新作長編が発表されました。
「わたしを離さないで」は、一見現代に似た世界でのお話でしたが、「忘れられた巨人」は始めのページをめくって物語に入った途端、現代とは全く遠い舞台であることがすぐにわかります。
主人公は、アクセルとベアトリスという老夫婦。二人が住む世界は、まだ荒涼とした未墾の土地ばかりが続いている中世のイングランド。鬼や竜が、人と同じ世界に棲みついていて、人は岩場に穴を掘り寄り添って暮らしている。ふたりはその安全な場所を捨て、遠くの土地に暮らしている息子に会うために、村を離れ冒険を始めます。
まだ若い主人公の冒険活劇とは異なり、老夫婦の冒険は、困難に次ぐ困難で、命をすり減らすようにしながらも、支え合って、寄り添い合って進んでいきます。また、旅先で出会う様々な人々の、運命に寄り添い、受け入れる姿。不安や怖れと戦いながら、誰もが自らの思い描く希望を持っていることに、胸の奥に青い炎が灯り熱くなるような、そんな感動を覚えました。
読了後に強く心に何かが刻みつけられる、静謐なダークファンタジーをお望みの方に、ぜひおすすめしたい一冊です(文・野原こみち)