2000年の時を超え、吉野ケ里遺跡

多羅尾 伴内|2020年12月13日


今回も吉野ケ里遺跡のこと、この地に立つと思う、2000年以上も前から
人々は争いの中で暮らしていたということ。
もちろん中国の歴史も中華統一の歴史であり、地球の至る所で争いは絶えなかった。
この吉野ケ里の弥生の遺跡でも、環濠や見張り櫓、
遺体を納めた甕棺からも首のない遺体(骨)が発掘されている。

当時の争いは、食糧の獲得が目的であったとすれば、弥生の遺跡に住んでいたのは
米と共に海を渡ってきた朝鮮からの渡来人では...
同じ渡来人は山陰地方で鉄を産出していた...その鉄器で農作業は格段に進歩してきた...
渡来人の下、倭人はひれ伏しその傘下に...天皇家が渡来人とすれば、
その形態はその後も続いてきたことになるが...

そんなふうに思いを巡らすといろんなことが見えてきそうだな...
でも私は弥生よりも縄文、青森の三内丸山遺跡に行きたいですね。

北海道の常呂のオホーツク人にも惹かれますねぇ。

その地に立ってみると、地層が語りかけてくる...そんな思いがします。

writer ライター
多羅尾 伴内
酒と旅と歌をこよなく愛し、
それらが焚き火とともにあれば、千夜一夜の話を紡ぎ出す…
そんなステキな話をお伝え出来れば…遥か九州の地より、愛を込めて