クリスマス島は、釣り人にとって一度は立ちたいと願う憧れの地である。
私にとってもその想いは特別で、胸の奥底で温め続けてきた夢を、
ついに三十年越しに叶えることができた。
初めて島に降り立った瞬間、乾いた風の匂いと、どこまでも澄んだ海の青さが胸の奥に刺さり、
長い年月を経て辿り着いた実感が静かに湧き上がった。
キリバス共和国クリスマス島の人口は七千人あまり。
広大なサンゴ礁の上に築かれたこの島では、
海と風を相手にした暮らしがいまも当たり前のように続いている。
村を歩くと、ココナッツやパンダナスの葉を編んで葺いた高床式の家が並び、
ひとつの建屋に何十人もが寝起きしている光景が当たり前にある。
家の前では直火で料理をする家族がおり、薪の匂いが夕暮れの風に混じって漂う。
文明の利器に囲まれた日本の暮らしを知る身としては、どうしても生活水準を比べてしまう。
しかし、その比較はあくまで私が生きてきた価値観に基づくものでしかないことに、
島での日々の中で気づかされていった。
島の土壌は塩分濃度とpHが高く、野菜が育ちにくい環境だと聞く。
海抜が低いため雨水を貴重な資源として使い、地下水も塩水の影響を受けやすい。
生水を飲めず、外から来た人間にとっては「不便」に映る部分も多い。
しかし、そこに暮らす人々は驚くほどよく笑い、
子どもたちは目が合うと当たり前のように駆け寄ってくる。
夕暮れの浜辺で遊ぶ子どもたちの笑顔には、飾り気も、迷いもなく、
ただ「今ここ」を楽しむ純粋な光だけが宿っていた。
私たちは気づかぬうちに、物の多さや便利さを幸せの基準にしてしまっている。
だが、クリスマス島の人々を見ていると、そこには違う尺度が確かに存在していた。
風が吹き抜け、波が寄せ、家族が寄り添い、隣人と笑い合う。
その簡素な日常の中に、豊かさが静かに宿っている。
島の人々にとって、この暮らしそのものが「幸せ」であるという事実は、
私に大きな衝撃と示唆を与えた。
三十年越しの夢を追って辿り着いた釣りの聖地で、私は魚との出会い以上に、
人の持つ幸せの本質を見つめ直すことになった。
私が思い描いていた“理想”や“豊かさ”とは別の場所に、確かに息づいている価値観。
そのことに気づけた旅は、釣り人としても、一人の人間としても、忘れられない時間となった。
クリスマス島で見た笑顔と静けさは、これから生きる上で、
そして映像を撮り続ける上で、ひとつの指針のように私の中に残り続けていく。
writer ライター
岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp







