釣りというものは、人生のステージごとにその楽しみ方が変わっていく。
それはまるで、自分の生き方や考え方が年齢とともに変化していくように、釣りの中にも“成長”があるのだと思う。
そしてその変化の深さは、釣りを始めた時期、すなわち人生のどこで最初の一匹に出会ったかによっても違ってくる気がする。
子どもの頃、父と一緒に行った釣りは、私にとって特別な時間だった。
釣り場までの道中、助手席で聞く父の話は、家の中とは違う優しさとたくましさに満ちていた。
釣り竿を握る手に力を込め、狙って釣れたときのあの誇らしさ。
そして、自分の釣った魚が食卓に並んだ夜の、あの満ち足りた気持ち。
小さな成功体験が、少年だった私の心に“生きることの楽しさ”を刻みつけた。
学生時代、時間だけは無限にあった。仲間と騒いだり、恋愛に心を奪われたりして、釣りから離れることもあったが、結局また竿を手にしていた。
一人きりの釣りが好きだった。
とにかくたくさん釣りたい、もっと大きいのを釣りたい。
それが当時の全てで、釣果が自分の存在価値を測る指標のようでもあった。
社会人になると、お金はあっても時間がない。
限られた休日の中で、より確実に結果を出すために、道具や情報に投資した。
最先端のタックル、評判の良いルアー、遠征先の情報。
効率と成果を求める“仕事の感覚”が、いつしか釣りにも入り込んでいた。
結婚して家族が増えると、釣りの意味が変わった。
一度の釣行がどれほど貴重な時間か、身に染みて分かるようになった。
子どもを連れて釣りに行くと、父親がどれほど大変なことをしてくれていたのか思い知らされる。
自分の釣りより、子どもの安全と笑顔を優先する。
正直、疲れる。けれどその分、心は満たされる。
何を釣っても楽しそうに魚を眺める子どもの姿を見ると、「釣りってこういうことだった」と思い出す。
ゲームばかりと言われる今の時代でも、子どもたちは真剣な眼差しでウキを見つめ、釣りに夢中になる。
それは、どんな映像よりも尊い光景だった。
一方で、大人になってから釣りを始める人も増えている。
そうした人たちは動画を見て学び、知識を蓄え、道具にも詳しい。
それはそれで素晴らしい。
ただ、子どもの頃に覚える釣りとは少し違う。
子どもは思うがままに自然と向き合うが、大人は頭で考え、理解しようとする。
そこには人生経験の差があり、どちらも間違いではない。
ただ、同じ一匹を釣っても、見える世界が違うだけだ。
48歳になった今、私の釣りはまた新しい段階に入っている。
今年、父を亡くした。
その喪失感の中で、改めて“釣り”という行為の意味を考えた。
先日、気の合う仲間たち(正しくは気の「合いそう」な人たち)に声をかけて、
丹沢ホームという管理釣り場に集まった。
私にとってかつては「人の先に魚がつながる」のが釣りだった。
それが今やて「人の先に人がつながる」のが釣りになっていた。
そんな時間が、今の私には何よりの宝だと思う。
釣りは私の人生そのものだ。
子ども時代の夢、学生時代の情熱、社会人としての競争、父親としての責任、そして人とつながる喜び。
それらすべてが一本の糸でつながっている。
この先、どんな釣りの境地にたどり着くのか。
まだ見ぬ川の先を想うように、私はこれからの釣り人生を楽しみにしている。
writer ライター
岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp






