八月六日。
広島に原子爆弾が投下されたあの日から、今年で八十年になる。
私の父は被爆者であり、私は被爆二世として生まれた。
1977年、私は広島で生まれた。
子供のころは、原爆や戦争の話を「昔のこと」として聞いていた。
父の話や学校で学ぶ資料の中でしか知らない世界。
焼け野原や火の海の描写は、まるで遠い物語のように感じていた。
けれど、いま自分が今年で48歳になるという立場からふり返ってみると、
私の生まれた1977年は、原爆投下から「わずか32年後」に過ぎなかったことに気付く。
子供のころは漠然とした「昔」だった32年が、いまの私にとっては、
つい昨日のような時間の流れだ。32年という時間の短さを、
自分の年齢を通じて実感するようになってからは、戦争や原爆の記憶が、
より身近で、生々しいものとして迫ってくるようになった。
私がこの世界に生を受ける、ほんの少し前まで、広島の空にはキノコ雲が上がっていたという現実。
その重みは、年を重ねるごとに増している。
大学進学で広島を離れたとき、私は初めて知る感覚に出会った。
八月六日が、他県ではただの夏の日として流れていくことへの違和感と寂しさ。
そして、広島に生まれた者として、何かを語り継ぐ責任が自分にあるのではないかという思い。
それは、年を重ねるごとに強くなっていった。
大人になってから、戦争についてそれなりに学ぶようになった。
資料を読み、証言に耳を傾け、歴史を辿るうちに、
日本が一方的な「被害者」であったとは言えない現実が浮かび上がってくる。
加害の歴史もまた存在する。指導者の誤った判断や、国民を巻き込んだ無謀な戦争。
そうした現実を受け入れたとき、アメリカという国に対する見方も変わっていった。
かつては父を傷つけた国として怒りを向けていたが、その国にもまた、
戦争で命を落とした人々や、家族を失った者たちがいることを知った。
原爆は絶対的な悪だと思う。だが、それ以上に「戦争そのもの」が悪であり、
そこには常に指導者たちの欲と傲慢がある。
私は映像制作を仕事にし、日本各地、世界各地へ釣りに出かけている。
旅先でのもうひとつの習慣として、戦争の遺構を訪ねることがある。
最近では奄美群島やサイパンを歩いた。青く澄んだ海、美しい浜辺、豊かな森。
その風景の中に、崩れかけた砲台や塹壕、慰霊碑がひっそりと残されている。
海辺で爆撃が行われ、洞窟に逃げ込んだ人々が命を落とした場所。
水辺という穏やかな場所で、かつて多くの命が奪われたという現実は、何度見ても胸が締めつけられる。
そして今、同じ水辺で私は釣り糸を垂れている。
波音を聞き、風に吹かれ、ただ魚の気配を待つ。
誰かに怯えることなく、誰かを傷つけることもなく、静かに竿を握る。
その時間に、私は平和の本質を感じている。
かつて命が絶たれたその海で、いま私は生命の営みを感じている。
釣りを通して旅を続ける中で、私は繰り返し思う。
この静けさを、絶やしてはならないということを。
戦争はいつだって突然始まるのではない。
人々が無関心になること、過去を忘れてしまうことが、始まりなのだと思う。
だからこそ私は語り続けたい。
私が生まれたのは、あの出来事から「わずか」32年しか経っていなかったということを。
そして、水辺に立つたびに、平和の意味を噛みしめていることを。
この八月六日もまた、私は静かに祈った。
writer ライター

岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp