先日、仕事でサイパン島を訪れた。
フライフィッシングの天地を探す!ことが目的で、たくさんの映像を撮影でき、素晴らしい経験となった。
それとはまた別に、サイパン島を通じて様々なことを感じたので、それをエッセイとして残しておきたい。
青青く澄んだ海に糸を垂らしながら、私はサイパン島の静かな波音に耳を澄ませていた。
手にした釣竿は、ただ魚を釣るための道具ではなく、
過去と現在、そしてさまざまな人々の思いを結ぶ一本の線のように感じられた。
ここサイパンは、かつて日本が統治し、1944年には日米が激突する「サイパンの戦い」の舞台となった。
日本にとってこの島の陥落は、戦局の大きな転換点であり、多くの民間人と兵士が命を落とした。
そしてその戦いの先に続いていたのが、私の生まれ故郷、広島に向けた道だった。
今回の旅では、船上からテニアン島が見えた。
広島に原子爆弾を投下するために「エノラ・ゲイ」が飛び立った場所。
私は被爆二世として育ち、子どもの頃から戦争と核の重さを自然と背負ってきた。
だからこそ、テニアンの姿はただの風景としては見られなかった。
心の奥に重く沈むものを感じながら、それでも私はその島に対して、
あるいはアメリカに対して、憎しみを抱いているわけではない。
ただただ、なぜこんなことが起こってしまったのか、戦争とは何なのか、
そしてそれを導いた「指導者」とは何なのかという問いが、静かに湧き上がってくる。
今回の旅では、アメリカ人のガイドと共に巡った。
彼はとても親切で、冗談を交えながら釣りのポイントを案内してくれた。
私たちはただ釣りを楽しむ仲間だった。
国家と国家という枠組みを超えて、個と個としての出会いがそこにはあった。
戦争を起こすのは、往々にして指導者であり、国ではない。
だからこそ、こうして国境を超えて笑い合えることに、私は希望を感じる。
そしてこの島には、日本人でもアメリカ人でもない、もうひとつの視点がある。
チャモロ人をはじめとした、太平洋の島々に暮らす人々の存在だ。
戦争の渦中で、彼らは当事者でありながらも、しばしば忘れられた存在となってきた。
サイパンでは彼らも戦火に巻き込まれ、多くの犠牲を出した。
それなのに、日本とアメリカ、勝者と敗者という二項対立の語りの中では、その声は埋もれてしまいがちだ。
私は釣りをしながら、彼らの目にあの戦争はどう映っていたのかを思った。
突然持ち込まれた大国同士の戦争に、彼らはどんな思いで立ち会ったのか。
平和を取り戻した今、島に暮らす人々は何を感じ、どんな記憶を子や孫に伝えているのだろうか。
戦後80年の今年、私はこの旅を通じて、戦争の記憶と平和の尊さをあらためて感じた。
バンザイクリフから見下ろす海はあまりにも静かで、その美しさがかえって胸に迫った。
かつてこの海に広がっていた絶望と破壊を思いながら、今こうして釣り糸を垂らしている自分がいる。
過去をただ悔やむのでも、誰かを責めるのでもなく、記憶と向き合いながら、未来に何を残すのかを考える。
それが、私のような世代に与えられた役割なのかもしれない。
サイパンの海は、戦争も平和も知っている。
だからこそ、その波音には、言葉にならない祈りが込められているように思えた。
そして釣りは平和の象徴である。
writer ライター

岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp