海の謡

野原こみち|2018年2月20日

確か先月も家に閉じこもり気味という日記を書いたはずですが、残念ながらさほど変わっておりません。遊学の話題は乏しいものの、その代わり、大量の本や資料と格闘しながら、頭の中では自由自在に諸所を旅しているという日々。自分の中ではそれはそれは豪奢な旅路にいても、それが頭の中のことでは人様にお伝えするのも容易な事ではありません。

最近、毎日少しずつ目を通している本のひとつに「梁塵秘抄」と「閑吟集」があります。平安・室町時代に編まれたといわれる日本古来の歌謡の珠玉集です。

古典に触れることはなかなか厳しく、現代語訳されていてもその時代背景や下地となっている諸々の仏教の経典や神話などを調べねば到底理解ができない歌もあり、外国語の本を読んでいるかのように、たくさんの資料を紐解きながら読んでいます。

時折、どうしても心を離れない歌が出て来ます。

 

刈らでも運ぶ浜川の 刈らでも運ぶ浜川の
潮海かけて流れ蘆の 世をわたる業なれば
心なしとも言いがたし あまのの里に帰らん
あまのの里に帰らん

 

これは、能楽の「海人」の中でうたわれる一節。「海人」は、讃岐国の浜で繰り広げられる、藤原氏の伝説や、海底に奪われた宝物をとりかえす海人の伝承、また我が身を犠牲にしてまで子の栄達を願う母の姿から仏教の側面からは女人成仏の物語とも見え、そのあらすじを見るだけでもドラマチックです。この能楽は世阿弥の時代にはすでに存在していたとも謂れ、驚きました。伝統芸能というものは伝え続ける人と、それを受け取る観客の双方がいてこそ成り立つもの。私は、今まで能に触れたことはお祭りのときくらいしかありませんので、梁塵秘抄をきっかけとして、今度は能楽堂に足を運んでみようかなと思っている今日この頃です。

 

海にまつわる歌のことを考えていたら、出張にでかけていた家人から海の写真が送られて参りましたので、それを添えてこの日記を終わりにします。

 

writer ライター
野原こみち
熱しやすく冷めやすく、興味の対象が移ろい易い性格ですが、小さな頃から本だけはずっと手放せません。古本屋は、多くのお店を巡るよりも、贔屓のお店に徹底的に通いつめる派。新刊を扱うお店も同じく。図書館は居心地重視。最近は南米の文学作品、幻想小説を偏愛気味です。