遺伝子の記憶

岡野伸行|2024年9月11日

人間を含めた生物について、現代の日本人は科学でどのレベルまで明らかにされていると感じているのだろう?“結構いい線まで行ってる“と感じている人が多い、というのが私の肌感覚である。しかし実際には身近な生物の生態、生理ですら”よくわかっていない“というのが実である。ありんこ1匹、細胞一つ”ゼロから作り出せない”のである。
養殖魚や野菜・果実の新しい品種などは、見方によっては科学の結晶である。だけれど現実的には、地球の歴史が創り出してきた原型を修正しているにすぎない。
子供の頃から見てきた魚図鑑から、そこに書かれている“生態”などの部分はあまりアップデートできていなかったりする。方や遺伝子レベルでの種の分化が流行りであるため、学名が変わっていたりということはある。

私も理系の大学出身であるから“科学が正しい”ということは理解できる。ただ、だからと言って社会生活の全てが科学に倣ってしまっては何だか味気ないものになってしまう。サーモンかトラウトか?といった議論が少々前にあった気がするが、そもそもサーモンとトラウトに差があるとは思えない。日本語で言えば鮭と鱒な訳であるが、サクラマス、カラフトマスなどは“マス”とは名がつくが、生物的にも食品素材としてもサーモン(鮭)だと思う、マスノスケなんてのは確実にサーモン。それは海面養殖のニジマスも然りだ。魚種=魚屋での販売ではないし、日本にはそもそも土地によって魚の呼び名が違ったりする。それこそが私は文化だと思うし、尊重したい。特に出世魚などは顕著で、大きさごとに呼び名が違うし、食材としても確かにそれぞれ異なる食味がある。ハマチはハマチ、メジロはメジロ、ブリはブリ(全て標準和名はブリ)、それが面倒くさい“世界共通の科学的用語で表記しろ”ということになり、魚屋での販売名が、Seriola quinqueradiata となってしまったら、そもそも美味しそうではない・・・。科学だけの世の中になると、ある意味で“個性”が薄まる。科学と社会は適切な距離感を保ってこそ健全で“多様な個性”が生まれるはずだ。

そんなことを言っておきながら“科学”したくなる人たちの気持ちもよくわかる。私などは無機物にすら浪漫を感じてしまう気持ち悪いおっさんである。先日近所の多摩川にいたときにふとこんなことを考えた。目の前でユンボが河原の石を運んでいたわけであるがこれはとんでもないタイムマシンだと思った。川の石の移動は本来、上流から下流への一方通行であり不可逆的。増水のたびに少しずつ下流方向にしか移動できない。川の石の移動速度があるはずだ。その単位は“m/100万年”とか、果てしなくゆっくりなスピードになる。そんなことを考えていたら、この隣り合っている石たちが今同じところにいるのは奇跡だな、なんて愛おしくなり、その場面に遭遇している自分が地球の一員なんだ、と勝手に仲間意識が芽生えたりする。都会のアスファルトの中にある石ころでさえ、地球上のどこかにあったものであり、アスファルトそのものも原油であったとともにはるか大昔の生物たちだ。

そんなものにすら浪漫を感じたりするおっさんだから“遺伝子“などというのは浪漫の塊だ。
先に述べたように、野菜などの品種は“掛け合わせ”から始まったと言っても良い。これはすなわち眠っていた遺伝子の出現であり、その連鎖。人間でさえ我が子が“お父さん”に似ている“祖父母”に似ているなどということがあるように、遺伝子には“記憶”がある。

環境破壊が叫ばれる中で、私としてはその“遺伝子の記憶“に期待していることがある。例えばダムができたことで”陸封“されてしまったサケ科魚類たち。彼らは海との関わりがある生活史を送ってきたが、ダムがあることで彼らにとっては川と海は繋がっていない。
これから人口減少を迎える日本において、少子化対策を柱に上げる政治家たちを見て辟易とする。“できると思っている”ことが人間として生物として傲慢。先日の養老孟司先生との仕事(https://youtu.be/5rp88KKm0F0?si=mTVGILJLOTzP-idD)を経て、そのことが自分の中でもはっきりした。子供を産ませることだけを考えるよりも、人口が減った社会を考える方が合理的であるはずだ。その時に備えて、かつての人口増加のターンにあった時代に作りまくったダムをはじめとするランニングコストのかかる公共物を壊し、元の川の流れに戻しておくことが必要なのではないかと考えが至る。
そうなった結果として、“遺伝子の記憶”が目覚め、海との関わりを再開するのではないか。
考えてみれば、人間の感覚で言えば現代のような社会になって“たった”3世代しか経過していない。100年だけ遡れば、まだまだ健全な河川環境はあったはずだ。放流しなければ・・・と思っていたものが、気がつけば自然の力だけで魚が増えているかもしれない。

私は“遺伝子の記憶”に大いなる期待を抱いている。

writer ライター

岡野伸行

岡野伸行

1977年広島県生まれ。さかな検定2級
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp
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岡野伸行
1977年広島県生まれ。さかな検定2級
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
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