過日、東京都知事選が行われた(この原稿は開票日に書いている)。
個人的には生まれて初めて、選挙の応援というものをした。
そのなかで、自分のこれからの人生を左右するような大きな経験をさせてもらえた。
それを備忘録的に書き記しておきたい。
結果として、私が応援した41歳の候補は信任されなかった。
一つの熱狂を起こした人であるがゆえ、応援した人たちの今後のメンタルが心配になるところ。
議員内閣制の国政ではなく、直接選挙である首長選挙はいわばアメリカの大統領選と同じようなもの。
選挙運動期間がアメリカ大統領選と比べると圧倒的に短いが、
それでもその期間中にポジティブとネガティヴが目まぐるしく入れ替わり、
情緒不安定気味な日々を過ごしていた。
選挙戦が進むに連れネガキャンが散見されるようになり、
応援する候補のことを“行政経験が少ない”という人が出始めた。ちょっと待てと。
そう言われてしまうと若い人はさらに出にくくなり政治に対して、
社会に対してしらける。そう叩く人は、果たして人生でこれほどまでのチャレンジをしたことがあり、
能動的に多くの経験を積もうとしてきた聖人君主なのだろうか?
40代で行政経験が多い人など、現状では皆無ではなかろうか?
“若いこと”の唯一にして最大の強みは、チャレンジする勇気だと思う。
選挙期間中の“政策”についても色々と考えさせられた。
マニュフェストも大事だが、大災害などで何か起こるかわからないのが人生であり社会だと思っている。
そう言った変化に対応できるかどうかは、その人の“経歴”を知り、話し方や議論の進め方と判断力、
ひいてはご飯の食べ方などを通して“人柄”から感じ取るほかないと思っている。
“人柄”が私にとって大事な投票要素になっている。
私が応援した候補は、私の地元の隣町の片田舎出身で、半農のサラリーマン家庭の3人兄弟で過ごしたこと。
その田舎から、公立高校までバスで通学したこと。
カップラーメンの値段もわからない国会議員がいたが、“普通”の人の“普通”の価値観で育ってきたこと。
公立高校で勉強し、京大まで行く努力できる人間であること。
メガバンクに入行し努力の末に海外駐在も経験、
アナリストという“人に伝える”仕事をハイレベルでこなしてきたサラリーマンであったこと。
銀行に残れば、出世も可能で“安定”という部分では申し分ない境遇にあったはずだ。
そんな境遇を捨て、疲弊する地元の政治を立て直すために地元に戻って市長をやった。
“議会と喧嘩ばかりしていた” “何も達成していない”とネガキャンを貼る人がいるが、
就任当時から議会とのやりとりを見てきた私は、尊敬の念で彼を見ていた。
“議会”とマスコミに厳しかったのは当たり前だ。議員は公人であり、
マスコミも社会に大きな影響を与える社会的な責任があるからだ。
市民とは懇親会を開き目線を同じにした語り口調で語ってきた。
そして地元の若い人たちが政治を自分ごととして関心を持つようになった。
こんな政治家を私は知らないし、こんな人が増えて欲しいと切に願う。
ネガキャンを貼る人が、なぜもっと客観的に物事を判断できないのか不思議で仕方がなかった。
普通に考えて、公立高校から京大にいける努力と頭脳を持ち、メガバンクでバリバリ仕事をこなし、
アナリストという“人に伝える仕事”をし、
小さな町を立て直すために自分のキャリアを捨てる覚悟がある人が、“できない人”であるはずがない。
そもそも経済や行政のことを、自分ごととしてやってきた人以上に理解している人がいるとは思えない。
今回の選挙で、人の数だけある考えを認め合って社会があるということを再認識することができた。
いかにその人を信じられるかという部分が多くの有権者の投票理由であると思っていたが
結局は“組織票”に屈した。
悔しさや寂しさもあるが、人の温かさや未来への希望も見えた。
私が応援する候補者には、若い人の投票率も高く、演説の徴収にもその姿は多かった。
そんな彼女、彼らが政治にシラけてしまわないか心配だが、
今は選挙権のない10代中盤にも私が応援した候補者の思いは届いていると信じている。
4年後に再び出馬してくれれば、この国は変われると思う。
writer ライター
岡野伸行
西中国山地の麓で育ち、魚釣りが日常にある幼少期を過ごす。
大学では水産学を学び、魚が日常にある生活を送る。
大学卒業後は釣り番組の制作会社で、釣り人が日常にいる日々を過ごす。
2023年に独立し、H.I.T. FILMSの屋号で活動開始。
商業的ではなく作家性のある釣りの映像作品を制作。
釣りを人生で一周し、現在は冒険的なフライフィッシングを好み、
釣り旅のことばかりを考える毎日を送る。
H.I.T. FILMS
https:/hitifilms.jp