アウトドア雑誌のBE-PALには、いまでも追悼リレーとして
野田さんと関わりあった人々が寄稿を寄せている。
昨年の3月27日、84年の人生を川に、アウトドアに、旅に生きた男が、彼岸へ向けてオールを漕ぎ出した。
世の人が知ったのは、暫く経ってから…毎号のBE-PALで元気なお姿を拝見していたので驚きだった。
その後の特集記事で、北九州生まれ、久留米に住んだ時期も、熊本は疎開先で、
その時の菊池川での体験が野田さんの人生の基礎を作ったようだ。
熊本出身と言っていたのもそのためだった。
その菊池川も昔の面影はなく、子供達の声も川から聞こえなくなった。
その思いを追って、世界中を旅していたのだろう。
川の学校を始めて、沢山の野田ジュニアが育って、川にまた子供達が戻ってきた。
混沌とした時代に自分の足で歩く子供達が増える事を願う。
亡くなる前にも、時折菊池川の話をしていた野田さん。
その遺骨の一部は菊池川に散骨されたと。
BE-PALにシェルパ斉藤が墓参りした記事があった。
驚いたことに、久留米の筑後川に程近い所のお寺で、
私が時折チャリぶらするコース沿いにあった。
でもそこに主人は不在で、墓標に『留守中』と書いたプレートがぶら下がっていて、
年柄年中大好きな日本中の川を、愛犬達と一緒に旅を続けていることだろう。
野田さん、子供達を宜しく!
writer ライター
多羅尾 伴内
酒と旅と歌をこよなく愛し、
それらが焚き火とともにあれば、千夜一夜の話を紡ぎ出す…
そんなステキな話をお伝え出来れば…遥か九州の地より、愛を込めて
それらが焚き火とともにあれば、千夜一夜の話を紡ぎ出す…
そんなステキな話をお伝え出来れば…遥か九州の地より、愛を込めて